2013年2月2日土曜日

あれって体罰?!

今なにかとTVで言われてる体罰ですが・・・
スポーツと体罰が1セットになってるのって
理解できるような・・・やっぱりできないような。

自分の過去を振り返ってみても体育会系の先生って
恐怖統治が多かった気がするね。

関係ないけど小学校の時にはよく先生に竹のモノサシで頭を叩かれた。
しかも尖ったとこで。
忘れ物の常習犯に対するペナルティなんだけど、ガキの頃の自分は
バカだったので毎日叩かれてた。

忘れ物ひとつに対してモノサシ1回&走って家に取りに帰らされる&
一日椅子の上か床に正座&給食を懺悔してから食べさせられる&
宿題で漢字を200字書かされる。

・・・という今考えると笑けてくるような教育を受けた。
確かに精神力は部分的に鍛えられたし、過ぎてしまえば
微笑ましい思い出なのでその先生に対して特に悪い感情は抱いていない。
給食懺悔はさすがに人権無視すぎて屈辱的だったけど、そんなくだらないことは
どうでもいい。ついでに言えばアイドルの坊主もどうでもいい。くだらなさすぎる。

そんなことよりもさらに屈辱的だったできごと。

図工の時間に昔話の「大工と鬼六」の1シーンを想像してクレヨンで描く
という授業だった。当時から図工は得意だったのでクラスでも1番はじめに
描き始めるのはたいてい私だった。
真ん中にデッカイ鬼の絵を描いてその前に朱塗りの立派な橋を描いてやった。
(構図的に稚拙なのは小学生だからほっといてね・・・)

ここからが問題の始まりなんだが、小学生ってのは人の真似が好きなので
最初に描き始めた子にみんな影響される。隣の子は私の朱塗りの橋を見て
似たような図柄で青色の橋を描いた。そうなるとみんなそういう絵が正解なんだと
思って色とりどりの橋を描いたんだ。
今考えてもそれ自体なんの問題もなく実に微笑ましいことだ。

しかし先生の反応は違った。

「こんな昔にそんなカラフルなペンキなんてなかった筈だよ?」

という大人気ないコメントを浴びせかけたんだ。
当時の私たちはバカだったので先生が言う事は常に正しいのだと勘違いしていた。
先生に否定された子供たちは私も含めてせっかく一度描いていた橋を上から
茶色で塗りつぶしていった。
結果的に混色を使った深みのある茶色の橋ができたというのは
現在の私がポジティブにとらえた意見であって先生がそれを狙っていた筈がない。

木造建築=茶色、塗料=ペンキという発想が貧困。無知。

神社とかを見ても朱塗りなんて当たり前だし大陸の文化では建造物に
青色を使うことだってある。
それ以前にそもそもあの課題の趣旨はなんだったのか?
赤い橋では趣旨からズレていたのか?

今なら先生に言い返せます。

「百歩譲ってこのような朱塗りの橋は当時の日本では建造できなかったかもしれませんね、
それでは大工の願い事を叶えてくれる鬼は本当にいたんですか?」

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